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売れてる、売れてないに限らず作家さんの「ホンモノを買う」っていうのは楽しいですね。私も全く無名のイラストレーターで貧乏です。そんな自分でさえグッと来た作家さんのホンモノを買う、っていうのは「その作家さんの人生の一部分を買う」に等しい感じがします。ほとんどの作家さんはとてもおくゆかしくて、純な人が多い(と思う)。作品を買うことによってその作家さんの感性を共有する、応援するということが出来る、、、ということを五郎さんが言葉で表現してくれて今回のトーク、とても良かったです。
コロナ来てくれる変えたいかか
五郎さんの動画を見過ぎて、人と話すときに「ほいで」が口癖になりました。
小さい頃父が生きてた時は美術館とか画廊によく行ってたなあと思い出し懐かしい気分になりました亡くなって以降全く行かなくなって久しいけどいつかモネの睡蓮はみたいなあ
やっぱワダさんとゴローさんの掛け合いが最高ですね。
館内の巡り方はすごく納得でした。以前は勉強のように全部をわかって見ないと、と思っていたけど、全部に興味が湧くはずないし、自分の年齢などのタイミングもありますよね。年パス買ってもっと気軽に見に行くようにしたら、勉強のように見ていた頃より楽しめるようになって、かえって理解が深まった気もします。
確かに体力必要ですね。何でも、まずは若いうちです。ガンガン、じゃんじゃん見たら、如何でしょうか。すると、何かが心に蓄積されるような気がします。お気に入りの形、色、描き方、雰囲気、画家などが見つかると思います。また、同じ絵やその他美術品を見ても、回数を重ねるうちに、或いは、年を重ねると、作品の見方が変わったりします。そんな自分の変化も楽しいです。その絵は何十年も前から存在するのに、いつも新たな出会いがあります。今までずっと良い状態で、保存してくれてありがとうと言う気持ちにもなります。とにかく、本物を見ることは大事だと思います。
美術館で原物を観た後は画集を買う気になれません。色の違いが大きく過ぎてガッカリします。でも後から買っておけば良かったと思う事もあります。今はそれをわかった上で画集も買っています
山田先生の動画を見てから、美術館は所蔵数ではなく、自分が見たい絵があるかどうかで決めるようになりました。所蔵が1000あっても、1000は見れないし、1000もみたら、殆ど記憶に残らない。山田先生の動画で予習して、可能なら見ながら動画を見るというのもやりました。そうすると記憶にも残るので、すごい気持ちが良いです
装画系のイラストレーターさんの個展は敷居が低くて入りやすい。買わなくても作家さん気軽にお話してくれますよ! 最近はTwitterで気になってたので来てくれた若い人もいるので、以前よりも気安いかも…もっとアート感のある作品だと「月刊アートギャラリー」がおすすめかも…
長いこと絵を見るときは、心にグッときた時だけだよ。それ以外は本当に流し見。
常設展の話は田舎モノには羨ましく思いました。品物に関してはネット時代になってほぼ何でも手に入るようになり不満は無くなりましたが、イベントや美術館だけはどうしようも無いですよね・・・・・あと、2倍速で再生すると、和田さんの声が10代前半の少年のような声に聞こえて面白いなと思いました(前の動画を2倍速で見てたので・・すぐに元の速度に戻しましたよ)
ウィーンの美術館でブリューゲルの「冬のハンター」の絵を観たとき驚愕しました。大体のものは写真で満足してましたが、あれは別格だったわー。
RGBとCMYKのやり取り、ほんま苦労しますよね…。オレンジの再現なんて、古い印刷とか大変ですよね…。花博の国際展示で沢山油彩が来てましたが、泣きました。美しさと画面に惹き込まれる迫力に圧倒されましたっけ…。ルドン、モロー、アンチンボルド、幼少から親しんだ作家の代表作でなくても凄まじいインパクトでした。企画展示のついでの常設展示の拝観は、デフォルトの楽しみですよね🎵
ルドンのキュクロプスは色というよりサイズが意外だったなー。こんなちっちゃくてかわいいのかと。
色ってのは脳科学的に、相対感覚ですから。照明の照度や色あい、周囲(壁)の色や明るさ、物体が発光体か否か、はては観察者の心理状態で変化します😃
私も仕事がら、脳科学の観点から絵を観ることが多いです。五郎さんのコメントなど、いつも鋭い点をついていらっしゃるといつも関心しており、大変勉強になっています。ありがとうございます。
以前バルセロナのピカソ美術館で実物を見た時、うまく言えませんが数点の絵に圧倒された気がしました。3~4号くらいのサイズでしたが、迫力が半端なかったです。過去いろいろな絵を見てもパワー的なものを感じた事は一度もなかったので、一体あれは何だったのかな?
有名なゲルニカの牛の右にいる鳥さんは、判別できる画像も少ない位ですね現物を見たときも暗くて見にくかったですけれど、群馬県立近代美術館のタペストリーのゲルニカはとても良く絵がわかって良かったです。毎年夏にしか展示してくれませんが
デジタルの色再現ですが、映像作家の私の経験からは、すべて違います。視聴者が見るモニターにより各種特性・設定により違いますね。
より難易度高そうですね笑
やはり本物を時々観覧する事がいちばんですね😊絵がだいすきで上京の際には必ず国立西洋美術館や博物館などに行きます。西洋美術館の常設展には、年代別の色々な素晴らしい絵画が展示されておりしかも撮影も殆ど許されているのでおすすめです。
五郎さん尊敬してます! 欧米、日本だけでなく(中国も)、中東や南米、アフリカの芸術なんかも取り上げて欲しいです! 遺跡が主になると思いますが、、、専門ではないかもしれませんが、、、ゲスト読んで頂くとかw。出来ませんでしょうか?
足立美術館は時期的に入替えがあっても、基本的にはほぼ常設の美術館な気がします。庭が素晴らしいので、展示されているものは考えずに行ってます。
昔、浮世絵を見に行った時に、影ずり(?)だったかな、派手がダメってなった時の時代の着物を、色は地味だけど柄が凄く細かいのが粋って時代の作品で、本物はその柄が凹凸で出てて、「これは本物でしか分からないよなー」って思った事がありました。画集だったらベターっと一色になってしましますよね。
ありがとうございます。(売れない絵描きより)
プライマリーとセカンダリーって言葉は美術関係で初めて聞きました😮ヘーもちろんそういうことで流通しているんだから理屈ではわかってはいて画廊が育てるって事も知ってはいましたが五郎さんがいうとリアルに感じられました🤭👍❤️
3Dプリンターの作品は思い切って白黒やグレー、単色にしちゃうのが良い気がします。それはそれで作品性がうまれて面白いかと
大人になってから色々行くようになってから、もっと早くから触れていたら、と強く思います 日本は海外のように情緒が育ち始まる小さい頃からもっともっと美術館や博物館に出掛ける機会を設けたらよいのに、もったいないと思います 地方にも都会の美術館や博物館では体験できない良質なところ沢山あります、それこそ自然光を採り入れていたり 作品が超有名でなくても箱そのものや展示手法がユニークとか もっと早くに気付けてたらと思います 私も常設展が好きな何度も足を運ぶお気に入りがいくつかあります
五郎さんに質問です。最近、美術館や博物館では展示物撮影OKの所が増えて来てますよね。そして少なからぬ人達が鑑賞そっちのけでスマホ操作・撮影に夢中です。個人的にはこの様な状況に違和感を抱かずにはおれません。ながらスマホと撮影音は純粋な鑑賞目的の人間には迷惑なだけです。また、このような撮影機会を与える館側の真意も測りかねます。ご意見頂ければ幸いです。
切り抜き動画で質問してるのアホ丸出しで草
ゲルニカも教科書では普通のキャンバスの大きさをイメージしてたけど実際はデカイのびっくりしたし。
絵画も写真も印刷も顔料や色素に吸収されずに反射された光を干渉するものだけど、あらゆる絵の具や顔料、色素それぞれ吸収スペクトル違いますしね。さらに油絵の具は吸収層に厚みがあるのに対して、印刷は表面のみ。反射光で干渉する絵画を、透過光のスクリーンでも再現できないし、デジタルデータを印刷するなら同じ問題がある。
レプリカと実物の問題両方を並べて展示するのがいいと思うのです。しかも、どちらが本物で、どちらがレプリカとは示さない。となれば、どちらがホンモノなのか見る側の力量が問われます。レプリカの出来が良ければ専門家ですら判断に迷うと思います。両方並べれば嫌でも見比べて細部を観察せざるを得なくなります。パット見で済ませる時とは違って見えてきます。本物が見抜けなかったとしても、根本的に見る側にとってその対象の何が訴えかけてきたのかを考え直すことが出来ます。それが良いのです。もしかしたら、従来誰も気付かなかったことを発見するかもしれませんよ。パッと見て、解説文を読んで納得した気持ちになって通り過ぎてゆく、それが如何に勿体ないことか。
色の再現、むずかしいんだよねー。女性誌に出てくる新作リップの色味とかもめちゃくちゃ細かく色校正頑張ってるみたいだけど、やっぱりむずかしい。オペレーターの人はすごいと思う。緑じっと見たあとに他のところ見ると赤く見えたりするじゃん、人の目の精度も怪しいんだよね。オペレーターの人たちのすごいところは、そういうところも踏まえて今自分の目で正しく見えてるか?をちゃんと客観的に捉えられてるところだと思う。デジタルで見るにしても、結局ユーザーの環境に依存するからやっぱり本物見た方がいいね。まあ画家だって一定の環境下で制作したわけでもないし、制作からかなり時間も経って絵の具だって劣化してるだろうから、どこまでいってもキリがないけども。金と時間がないなぁ…😂
今回も神回かと。ただ美術館で見るのも大事ですが、ガラス越しに見る、距離が離れている場合、ちゃんと見たことにならないと思います。あたくしも浮世絵展はよく行ったのですが、たまたまチャンスがあって、机の上に100万円クラスの束を見させてもらったら、今まで何を見ていたのかと。かなり作品を見る目が覚めたことを覚えてます。やはり自分でも何らかの、版画でも良いので自分で持つのも大事です。小作品なら数千円からありますし。
本当に無理!色校正は手刷りでやっても、印刷を輪転機で刷ったら全然違うものが上がって来ますよ!!
3:55 構成じゃなくて校正。色は再現も難しいけど、実物ですら見る環境で色合いが変わる場合がある。それは音に似ている。聴く環境で印象が変わるし、録音音源を忠実に再生するのも極めて難しい。 23:03 そうか、最近の人は絵を買うものだと思ってないんだな。びっくりしたよ。昭和の頃は多くの人が家に絵を飾ったものだ。美術に興味がない人でも「家に絵の一枚の無いんじゃ格好がつかない」などと言って油絵を買って玄関や応接間に飾ったものだ。つまり昔のほうが若い画家を育てる社会だったってことだね。
常設展の宣伝が下手ですよね。「何があるのか」と思ってHPを訪問しても、ほとんどわからない。
光学的に量子レベルで物理再現とかの技術-3Dプリンター?とかができるまで印刷とかじゃ無理ですね
私も現代の作家の絵画を買ったりしてます。春陽会の作家の方と縁があったりもしますが、どうにも周りを取り巻く人との雰囲気が合わないです。美術って何でしょうね、個人によって答えが違うのでしょうが。どちらかと言うと、好きな伝統工芸作家さんの方に〇百万近く製作を依頼した方です。人間国宝の方に師事された若い(といってもこの世界ではある程度年を取ってますが)方で、全述した取り巻く人達とは全く雰囲気が違う人たちが集まっていて、付き合い易かったのです。こういう道楽も退職を見据えると、そろそろ終わりかなと思います。結局、にわかでも専門家でも、その世界に金を落としてくれる人は意義のある人だと思います。
リャドのアルハンブラの庭のリト12番を買いました。ルドンは骨董屋でリトがあったのですが150万円と言われてあきらめました。ルドンはポスターを額装して寝室に飾り時々ロウソクで観ています。あとは気に入ったモローの絵の大きいのをゲットできれば幸せです。全部現物が欲しいけど無理だわ
画廊についてですが、確かに気取った人いますね。また金持ちでないと相手にしない奴とかも。ただ、同じ画廊内でも親切な人もいます。何度か行かないと出会えないかも。また一人で回してる小さな画廊には面白いおっちゃんがいたり 。2年ほど日本橋、京橋、銀座の画廊を巡ったのですが、中々いい絵には巡り会えません。暗い絵が多いのが気になります。セカンダリーにもいいのがあって、有名な作家は少ないですが、お得な値段で売ってます。南天子画廊でデビューした作家の美術館にある作品を数分の1の値段で手に入れたことも。まあ、色々ありますから、回ってみましょう。
油絵なんて凹凸ありますもんね。光源がどこにあるかでも見え方は違う。
そうです、絵なんてどう見ても良いし何なら見なくても良いのです。芸術もエンターテイメントも性質が少し異なるだけでどちらも結局は見世物であるのに、芸術は鑑賞者側が作者の心情や意図を汲んで観ないと野暮であるという考え方には私は賛同しません。
なんでも「デジタル」ならより優れてると思われがち。が、デジタル表現は量子化による「劣化」が、原理上必ず発生する
目の前の料理と動画や写真の料理くらい違いますよね
ピクセルレベルで同じRGBで構成したら、同じにならんのかな?油絵みたいな凹凸がある絵画だと、陰影とかが再現できんのは分かるけど、同じ材質の紙に、同じ照明で、ピクセルごとの色合いを完全再現したら、同じになるのか、それともまだ足りてない情報があるのか…。
そう、色校正って感覚だから面倒くさい
美術館行くと常設展が作品少なくていつもがっかりしちゃう。まぁそういう美術館は企画展のチケット買うと常設展は無料なんだけどね。
8kカメラで撮影して高精細で見られる様になったけど、これはどうなんだろう?
解像度の問題ではなくて、色調の問題だから難しいでしょうね。256次元の赤青緑で、表現できないということなので。
原画と印刷が違うのは当たり前、それは比較する意味はない。そもそも色とは電磁波の反射した結果だからどんな周波数の光をどんな強さで当てているかで違って見えるよね。本当の色、というものはない。光源に依存する。紙質や絵の具の凸凹も照明も再現できない。美術館の見え方と自宅のLED照明の下での見え方はぜんぜん違うのは当然。本物の絵を持ってきたとしても違って見えるはず。デジタルでRGBを数値化するから正確、って話でもないよ。山田氏の言うように「プロが現物を見て似せていく」くらいしか方策がない。
齢65に成るが未だにモダンアートの何が良いのかわからない。ダリやマグリットのよーに写実的な物は分かりが良い。キューブやフォーブやアブストラクトはなんなん?
観ている対象は一つ。だがさ。その一人一人は? それぞれ違うんだってわからんか?
五郎さん、日本人って訳が分からず展覧会を見に行かない? 私は、ルノアールが好きで。「ルノアール展」が東京で開かれた時。【イレーヌ画像】(イレーヌの生涯を勉強) の前で30分眺めていました。すると、前はラッシュアワー状態。分かりましたよ。日本人って、話題に乗りたいだけで、★その絵の魅力に惹かれて行っている訳じゃない★。ルーブル博物館も同じ。 一日行っただけで知った気になっている。ルーブル博物館を分かるだけでも一年かかるのに。私は、上野が近かったから、年がら年中、美術館へ行っていました。しかし、日本では絵画が身近じゃありませんね。私は、ブラウン大学で3週間勉強していましたが。発表会で【浮世絵】を取り上げた。そのため【ボストン美術館】へ行く。驚いたのは、広重 歌麿 などの浮世絵に触れられるのだ。もちろん、アメリカは日本から浮世絵を持ち帰った訳だが。日本の美術館だったら触れられない。五郎さんがおっしゃっていたように。日本のお上は【絵画は庶民に見せるものじゃない】の意識。民主主義が根づいている国じゃないからね。最後に、日本橋のように【画廊】がない地方の人は気の毒です。美術品って見るものじゃない。★買うもの★。あまり有名じゃない人の絵画の場合。5~6千円で買える。だいたい、五郎さんに質問している人は、画廊・美術館へ行かないでしょ。行っている人は、こんな質問しないもの。それだけ、日本人は芸術に貧困なんだ。
芸術に貧困だったらあんなに展覧会に人が集まらないと思うよ。興味無ければ展覧会自体行かない。みんな楽しみにして行ってるから。展覧会の絵の前でおばちゃん達の会話聞いてたら相当知識持ってるし^ ^
@@なん-l5i 私もそう思います。我が家の両親などは、美術関係者どころか、特に美術愛好家というわけでもないのですが、印象派絵画が好きで、デートスポットはいつもブリヂストン美術館だったとか。モネの睡蓮の絵の前の椅子に寄り添って座って、ずっと眺めていたそうです。私も、ブリヂストン美術館や国立西洋美術館の常設展の印象派絵画は好きで、何度も訪れては、半日過ごしていたりしましたし、鎌倉近代美術館なども好きでした。-実家には、西村計雄画伯の青の時代の白百合の絵がありました。画伯の弟さんと父が友人で、安く譲り受けたらしい。油彩画ですが、砂糖菓子のような、墨絵のようなタッチの絵で、ユリの蕾の芯が綿菓子の中の黒い点のように見えるのを、幼い頃の妹は「うさちゃんのお目目」だと思っていたそうです。父が亡くなって実家を整理して家財道具を売却した際、西村画伯の絵は時価100万円を超すと言われたそうですが、「この絵は売るものじゃない」と言って、妹が貰って行ったそうです。-日本の、特に都市部は人口が過密状態だから、著名な絵画が来日して展覧会に出展されると、一つの絵の前でゆっくり止まって観てはいられなくなるのだと思います。それに、常設展とは違って、特別展の場合には、招待券や優待割引券がたくさん出て、私の出身大学などでは、図書館や教務課に、各種特別展の招待券や優待割引券が山のように積んでありました。私も家族や友人知人の分までもらって帰り、大学の帰りによく観に行きました。そういうことをしているから、特別展は余計込み合う。でも、そうまでしても、せっかく来日した絵画を見ておきたいと思う日本人が多いのはいいこと。-私は在欧37年目になります。ドイツを本拠に、ウィーン資料研究滞在が足掛け15年、イタリアやフランスにも住んだことがあります。初めての海外滞在は、フィレンツェ近郊の街での資料研究研修助手でしたから、週末の休みにウフィツィ美術館などに行きました。ヴェネツィア、ローマ、アッシジなどにも足を延ばして、見られる美術品は全部観ました。ウィーン美術博物館などはもちろんのこと、ソルボンヌ大学夏期講習参加中は、ルーブル美術館やオルセー美術館、ロダン美術館など。ミュンヘンのピナコテークなども。スイス各地の美術館も見て回りました。ブリュッセル滞在中にオランダにも足を延ばしたかったのですが、アムステルダムの治安の悪さを聴いて、行きそびれたのが残念。モスクワ滞在中に美術館を訪れようとしたら閉館中だったり。でも、ウィーン、ミュンヘンやベルリン、ドレスデンなどを始めとして、ドイツ各地の美術館や城にてんじしてある美術品は観ているから、美術関係者でもない日本人としては観ている方じゃないかな?ルーブル美術館だって、パリに住んでいるのなら、何日かかけてみればよいようなものですが、旅行者はそうはいかないもの。私などは、通算4か月くらいはパリにも滞在しているはずですが、ソルボンヌ大学夏期講習に二夏と、後は資料研究滞在だから、美術館巡りばかりしていたわけではありません。ルーブル美術館をくまなく見るのに何日かかかることは分かっていても、そうそうは時間を取れませんよ。-ただ、私の場合には、在欧37年目になるから、特に美術館巡りのために旅に出るのではなくても、どこかに行ったついでに美術館にも立ち寄ることができる。恵まれています。日本在住で、簡単には欧州旅行にも出られない人は、そんなわけにもいきませんよね?それでも、欧州に行く機会があれば、美術館も積極的に訪れる日本人は多い。私は、オーストリア国立図書館で資料研究の帰り、同じ王宮アルベルティーナ翼に入っていた美術館を訪れていた中高時代のクラスメートとばったり会ってびっくりしたことがあります。彼女は、アメリカ留学経験もあるヴァイオリニスト。大学教授の旦那様のベルリン留学に同伴してきて、1年間の留学を終え、最後に欧州旅行をしているところだとか。美術関係者でなくても、そういう日本人は少なくないはずですよ。それで、欧州にもなかなか行けない日本人が、見たかった絵画が来日した際に、多くのファンが殺到し、結果としてラッシュアワー状態になるのを、まるで他の人たちは絵が見たくて来たわけではないかのように決めつけて、「本当にその絵に惹かれて観に来たのは自分だけ。一つの絵の前に30分でも居たかったのに」という松尾和敏さんの言い分は、単なるエゴイズムだと思います。ないしは、自分は少しばかり美術を勉強したことがあるから特別だと言いたいのかな?(笑)他の人もあなたのことを同じように思っていたらどうするの? と言ってやりたいですね。
気楽に楽しむことを良しとできないのは、芸術に対しての思想が貧困じゃないかな。大部分の「話題性で観に来る人」の需要で展覧会は企画されているし。あと、初心者の質問に攻撃的になるようじゃ寂しいですよ。
@@ライスバーガー-e5i デパートなどがある意味集客目的で話題性のある展覧会を開催するばかりで、美術館の常設展がなかなか充実しないという指摘は、美術関係者からはよくあるのですよね。でもそれは、欧州ならオペラやコンサートホール、オーケストラなどに政府から助成金が出て、手頃なチケット価格でいい公演ができるのに、というのと同じ。日本は高度成長期を経て、やっと戦後の困窮から脱却したところなのであって、なかなか文化政策にまで手が回らない。それどころか日本政府は、音大や美大への政府からの給付は打ち切るといいだしているそうで、今後、日本の文化政策がもっと貧しくなったらどうしよう、というのが文化関係者一同の憂えているところではあります。-ただ、そう思うのなら、文化関係者自信が、できるところから対策をしていくべきなのであって。松尾和敏さんは、「日本橋のように【画廊】がない地方の人は気の毒です。美術品って見るものじゃない。★買うもの★。あまり有名じゃない人の絵画の場合。5~6千円で買える。」というけれど、それに対して自分で何か動いているのでしょうか?今日私がドイツの主治医の診療所に行ったら、私の住む村の教会にいく小径をスケッチした絵が飾ってあったので、見入っていたのです。この絵、ガラスの入った額に入れて主治医の診療所の待合室に入るガラス扉の脇に飾ってあるのですが、私の主治医の所有ではない。額縁のところに小さな紙が挟んであり、絵のタイトルと作者、そして65ユーロという値段が書いてあるのです。-私の住む村は小さいので、画廊などありません。近くの大学街には画廊もありますが、画廊に展示してもらうためにもお金がかかる。お金を払って期間を決めて展示してもらうか、ないしは画廊に絵を買い取ってもらわなければ画廊にも展示はされないわけでしょう?だから、大学街にあるその地域の行政センターの建物や、少し離れた街の医療センターなど、地域の人が集まる少し大きな建物には、大抵、売るための絵が展示してあるのです。描いているのは、行政センターや医療センターで働くスタッフだったり、ないしは利用者である一般市民が委託しておいてもらっていたり。タイトルと作者、値段は絵画の脇の展示プレートに記載されているほか、エレベーターなどにもまとめて掲載されていたりする。-私の実家にも、西村画伯の弟さんを介して譲り受けた絵が飾ってありましたが、ドイツに留学中の芸大大学院油画専攻の留学生が描いた絵を、その奥様が通う日本語教会のメンバーが少しずつ買ってあげていることも。ドイツの大学の元日本語講師で、自分が勤めていた大学学長と結婚された方を訪ねたら、アパートの入り口に至る建物内の階段(彼女たちのアパートの一部)の壁に、古めかしい花の絵がいくつも飾ってある。これは、年金が少なすぎて生計が建てられないと言っている知人のために、お金をただ上げるわけにはいかないから、代わりに絵を買ってあげているものなのだそうです。-画家や彫刻家などは、作品が売れなければ、生活費がもたないだけではなく、次の制作のための画材なども買えなくなってしまう。制作が続けられないということは、画家や彫刻家としての生活は続けられないということ。前述のドイツ留学中の油画家の場合にも、奨学金を受給しているだけではなく、奥様が教会のオルガニストとして稼いで生計を立てていました。そういうことになるから、芸大でも、大学院生や卒業生の作品を展示即売するセンターを建設しましたよね。でも、小さな村や村の行政センター、医療センター、個人の診療所などに、壁のスペースだけ借りて売るための絵画を展示させてもらえば、場所を提供する側も飾るための絵画を購入しなくて済むし、絵が売れれば次の絵を飾ったりして、定期的に飾られている絵が交代するから、買うつもりのない人も楽しめる。簡単なことなのに、どうしてそういうことが日本ではもっと普及しないのかな、とは思います。-ドイツのやり方を見て、もっと日本もこうすればいいのにと思うことは山ほどあるので、そのことを以て「日本人は芸術に貧困なんだ」と決めつけるつもりは私にはありません。でも、芸術との付き合い方を知らないのでは? とは思いますね。企業や富裕層が、何億円という大枚をはたいて著名な絵画を買って、それを本社ビルに飾ったり、そうしたコレクションを基に美術館を建てるのもよいのですが、それだけではないやり方もあるな、と。
それぞれの見方で楽しめればいいんじゃないの??
売れてる、売れてないに限らず作家さんの「ホンモノを買う」っていうのは楽しいですね。私も全く無名のイラストレーターで貧乏です。そんな自分でさえグッと来た作家さんのホンモノを買う、っていうのは「その作家さんの人生の一部分を買う」に等しい感じがします。ほとんどの作家さんはとてもおくゆかしくて、純な人が多い(と思う)。作品を買うことによってその作家さんの感性を共有する、応援するということが出来る、、、ということを五郎さんが言葉で表現してくれて今回のトーク、とても良かったです。
コロナ来てくれる変えたいかか
五郎さんの動画を見過ぎて、人と話すときに「ほいで」が口癖になりました。
小さい頃父が生きてた時は美術館とか画廊によく行ってたなあと思い出し懐かしい気分になりました
亡くなって以降全く行かなくなって久しいけどいつかモネの睡蓮はみたいなあ
やっぱワダさんとゴローさんの掛け合いが最高ですね。
館内の巡り方はすごく納得でした。以前は勉強のように全部をわかって見ないと、と思っていたけど、全部に興味が湧くはずないし、自分の年齢などのタイミングもありますよね。年パス買ってもっと気軽に見に行くようにしたら、勉強のように見ていた頃より楽しめるようになって、かえって理解が深まった気もします。
確かに体力必要ですね。何でも、まずは若いうちです。
ガンガン、じゃんじゃん見たら、如何でしょうか。すると、何かが心に蓄積されるような気がします。
お気に入りの形、色、描き方、雰囲気、画家などが見つかると思います。
また、同じ絵やその他美術品を見ても、回数を重ねるうちに、或いは、年を重ねると、作品の見方が変わったりします。そんな自分の変化も楽しいです。
その絵は何十年も前から存在するのに、いつも新たな出会いがあります。今までずっと良い状態で、保存してくれてありがとうと言う気持ちにもなります。
とにかく、本物を見ることは大事だと思います。
美術館で原物を観た後は画集を買う気になれません。色の違いが大きく過ぎてガッカリします。でも後から買っておけば良かったと思う事もあります。今はそれをわかった上で画集も買っています
山田先生の動画を見てから、美術館は所蔵数ではなく、自分が見たい絵があるかどうかで決めるようになりました。
所蔵が1000あっても、1000は見れないし、1000もみたら、殆ど記憶に残らない。
山田先生の動画で予習して、可能なら見ながら動画を見るというのもやりました。
そうすると記憶にも残るので、すごい気持ちが良いです
装画系のイラストレーターさんの個展は敷居が低くて入りやすい。買わなくても作家さん気軽にお話してくれますよ! 最近はTwitterで気になってたので来てくれた若い人もいるので、以前よりも気安いかも…
もっとアート感のある作品だと「月刊アートギャラリー」がおすすめかも…
長いこと絵を見るときは、心にグッときた時だけだよ。それ以外は本当に流し見。
常設展の話は田舎モノには羨ましく思いました。品物に関してはネット時代に
なってほぼ何でも手に入るようになり不満は無くなりましたが、イベントや
美術館だけはどうしようも無いですよね・・・・・
あと、2倍速で再生すると、和田さんの声が10代前半の少年のような声に
聞こえて面白いなと思いました(前の動画を2倍速で見てたので・・すぐに
元の速度に戻しましたよ)
ウィーンの美術館でブリューゲルの「冬のハンター」の絵を観たとき驚愕しました。大体のものは写真で満足してましたが、あれは別格だったわー。
RGBとCMYKのやり取り、ほんま苦労しますよね…。
オレンジの再現なんて、古い印刷とか大変ですよね…。花博の国際展示で沢山油彩が来てましたが、泣きました。美しさと画面に惹き込まれる迫力に圧倒されましたっけ…。ルドン、モロー、アンチンボルド、幼少から親しんだ作家の代表作でなくても凄まじいインパクトでした。
企画展示のついでの常設展示の拝観は、デフォルトの楽しみですよね🎵
ルドンのキュクロプスは色というよりサイズが意外だったなー。こんなちっちゃくてかわいいのかと。
色ってのは脳科学的に、相対感覚ですから。照明の照度や色あい、周囲(壁)の色や明るさ、物体が発光体か否か、はては観察者の心理状態で変化します😃
私も仕事がら、脳科学の観点から絵を観ることが多いです。五郎さんのコメントなど、いつも鋭い点をついていらっしゃるといつも関心しており、大変勉強になっています。ありがとうございます。
以前バルセロナのピカソ美術館で実物を見た時、うまく言えませんが数点の絵に圧倒された気がしました。
3~4号くらいのサイズでしたが、迫力が半端なかったです。
過去いろいろな絵を見てもパワー的なものを感じた事は一度もなかったので、一体あれは何だったのかな?
有名なゲルニカの牛の右にいる鳥さんは、判別できる画像も少ない位ですね
現物を見たときも暗くて見にくかったですけれど、群馬県立近代美術館のタペストリーのゲルニカはとても良く絵がわかって良かったです。毎年夏にしか展示してくれませんが
デジタルの色再現ですが、映像作家の私の経験からは、すべて違います。
視聴者が見るモニターにより各種特性・設定により違いますね。
より難易度高そうですね笑
やはり本物を時々観覧する事がいちばんですね😊
絵がだいすきで上京の際には必ず国立西洋美術館や博物館などに行きます。
西洋美術館の常設展には、年代別の色々な素晴らしい絵画が展示されておりしかも撮影も殆ど
許されているのでおすすめです。
五郎さん尊敬してます! 欧米、日本だけでなく(中国も)、中東や南米、アフリカの芸術なんかも取り上げて欲しいです! 遺跡が主になると思いますが、、、専門ではないかもしれませんが、、、ゲスト読んで頂くとかw。出来ませんでしょうか?
足立美術館は時期的に入替えがあっても、基本的にはほぼ常設の美術館な気がします。
庭が素晴らしいので、展示されているものは考えずに行ってます。
昔、浮世絵を見に行った時に、影ずり(?)だったかな、派手がダメってなった時の時代の着物を、色は地味だけど柄が凄く細かいのが粋って時代の作品で、本物はその柄が凹凸で出てて、「これは本物でしか分からないよなー」って思った事がありました。画集だったらベターっと一色になってしましますよね。
ありがとうございます。(売れない絵描きより)
プライマリーとセカンダリーって言葉は美術関係で初めて聞きました😮ヘー
もちろんそういうことで流通しているんだから理屈ではわかってはいて画廊が育てるって事も知ってはいましたが五郎さんがいうとリアルに感じられました🤭👍❤️
3Dプリンターの作品は思い切って
白黒やグレー、単色にしちゃうのが良い気がします。それはそれで作品性がうまれて面白いかと
大人になってから色々行くようになってから、もっと早くから触れていたら、と強く思います 日本は海外のように情緒が育ち始まる小さい頃からもっともっと美術館や博物館に出掛ける機会を設けたらよいのに、もったいないと思います 地方にも都会の美術館や博物館では体験できない良質なところ沢山あります、それこそ自然光を採り入れていたり 作品が超有名でなくても箱そのものや展示手法がユニークとか もっと早くに気付けてたらと思います 私も常設展が好きな何度も足を運ぶお気に入りがいくつかあります
五郎さんに質問です。
最近、美術館や博物館では展示物撮影OKの所が増えて来てますよね。
そして少なからぬ人達が鑑賞そっちのけでスマホ操作・撮影に夢中です。
個人的にはこの様な状況に違和感を抱かずにはおれません。
ながらスマホと撮影音は純粋な鑑賞目的の人間には迷惑なだけです。
また、このような撮影機会を与える館側の真意も測りかねます。
ご意見頂ければ幸いです。
切り抜き動画で質問してるのアホ丸出しで草
ゲルニカも教科書では普通のキャンバスの大きさをイメージしてたけど実際はデカイのびっくりしたし。
絵画も写真も印刷も顔料や色素に吸収されずに反射された光を干渉するものだけど、あらゆる絵の具や顔料、色素それぞれ吸収スペクトル違いますしね。さらに油絵の具は吸収層に厚みがあるのに対して、印刷は表面のみ。
反射光で干渉する絵画を、透過光のスクリーンでも再現できないし、デジタルデータを印刷するなら同じ問題がある。
レプリカと実物の問題
両方を並べて展示するのがいいと思うのです。しかも、どちらが本物で、どちらがレプリカとは示さない。
となれば、どちらがホンモノなのか見る側の力量が問われます。レプリカの出来が良ければ専門家ですら判断に迷うと思います。
両方並べれば嫌でも見比べて細部を観察せざるを得なくなります。パット見で済ませる時とは違って見えてきます。本物が見抜けなかったとしても、根本的に見る側にとってその対象の何が訴えかけてきたのかを考え直すことが出来ます。それが良いのです。もしかしたら、従来誰も気付かなかったことを発見するかもしれませんよ。
パッと見て、解説文を読んで納得した気持ちになって通り過ぎてゆく、それが如何に勿体ないことか。
色の再現、むずかしいんだよねー。
女性誌に出てくる新作リップの色味とかもめちゃくちゃ細かく色校正頑張ってるみたいだけど、やっぱりむずかしい。オペレーターの人はすごいと思う。
緑じっと見たあとに他のところ見ると赤く見えたりするじゃん、人の目の精度も怪しいんだよね。オペレーターの人たちのすごいところは、そういうところも踏まえて今自分の目で正しく見えてるか?をちゃんと客観的に捉えられてるところだと思う。
デジタルで見るにしても、結局ユーザーの環境に依存するからやっぱり本物見た方がいいね。まあ画家だって一定の環境下で制作したわけでもないし、制作からかなり時間も経って絵の具だって劣化してるだろうから、どこまでいってもキリがないけども。
金と時間がないなぁ…😂
今回も神回かと。
ただ美術館で見るのも大事ですが、ガラス越しに見る、距離が離れている場合、ちゃんと見たことにならないと思います。あたくしも浮世絵展はよく行ったのですが、たまたまチャンスがあって、机の上に100万円クラスの束を見させてもらったら、今まで何を見ていたのかと。かなり作品を見る目が覚めたことを覚えてます。やはり自分でも何らかの、版画でも良いので自分で持つのも大事です。小作品なら数千円からありますし。
本当に無理!
色校正は手刷りでやっても、印刷を輪転機で刷ったら全然違うものが上がって来ますよ!!
3:55 構成じゃなくて校正。色は再現も難しいけど、実物ですら見る環境で色合いが変わる場合がある。それは音に似ている。聴く環境で印象が変わるし、録音音源を忠実に再生するのも極めて難しい。 23:03 そうか、最近の人は絵を買うものだと思ってないんだな。びっくりしたよ。昭和の頃は多くの人が家に絵を飾ったものだ。美術に興味がない人でも「家に絵の一枚の無いんじゃ格好がつかない」などと言って油絵を買って玄関や応接間に飾ったものだ。つまり昔のほうが若い画家を育てる社会だったってことだね。
常設展の宣伝が下手ですよね。「何があるのか」と思ってHPを訪問しても、ほとんどわからない。
光学的に量子レベルで物理再現とかの技術-3Dプリンター?とかができるまで印刷とかじゃ無理ですね
私も現代の作家の絵画を買ったりしてます。春陽会の作家の方と縁があったりもしますが、どうにも周りを取り巻く人との雰囲気が合わないです。美術って何でしょうね、個人によって答えが違うのでしょうが。どちらかと言うと、好きな伝統工芸作家さんの方に〇百万近く製作を依頼した方です。人間国宝の方に師事された若い(といってもこの世界ではある程度年を取ってますが)方で、全述した取り巻く人達とは全く雰囲気が違う人たちが集まっていて、付き合い易かったのです。こういう道楽も退職を見据えると、そろそろ終わりかなと思います。
結局、にわかでも専門家でも、その世界に金を落としてくれる人は意義のある人だと思います。
リャドのアルハンブラの庭のリト12番を買いました。ルドンは骨董屋でリトがあったのですが150万円と言われてあきらめました。ルドンはポスターを額装して寝室に飾り時々ロウソクで観ています。あとは気に入ったモローの絵の大きいのをゲットできれば幸せです。全部現物が欲しいけど無理だわ
画廊についてですが、確かに気取った人いますね。また金持ちでないと相手にしない奴とかも。ただ、同じ画廊内でも親切な人もいます。何度か行かないと出会えないかも。また一人で回してる小さな画廊には面白いおっちゃんがいたり 。
2年ほど日本橋、京橋、銀座の画廊を巡ったのですが、中々いい絵には巡り会えません。暗い絵が多いのが気になります。セカンダリーにもいいのがあって、有名な作家は少ないですが、お得な値段で売ってます。南天子画廊でデビューした作家の美術館にある作品を数分の1の値段で手に入れたことも。まあ、色々ありますから、回ってみましょう。
油絵なんて凹凸ありますもんね。光源がどこにあるかでも見え方は違う。
そうです、絵なんてどう見ても良いし何なら見なくても良いのです。芸術もエンターテイメントも性質が少し異なるだけでどちらも結局は見世物であるのに、芸術は鑑賞者側が作者の心情や意図を汲んで観ないと野暮であるという考え方には私は賛同しません。
なんでも「デジタル」ならより優れてると思われがち。が、デジタル表現は量子化による「劣化」が、原理上必ず発生する
目の前の料理と動画や写真の料理くらい違いますよね
ピクセルレベルで同じRGBで構成したら、同じにならんのかな?
油絵みたいな凹凸がある絵画だと、陰影とかが再現できんのは分かるけど、同じ材質の紙に、同じ照明で、ピクセルごとの色合いを完全再現したら、同じになるのか、それともまだ足りてない情報があるのか…。
そう、色校正って感覚だから面倒くさい
美術館行くと常設展が作品少なくていつもがっかりしちゃう。まぁそういう美術館は企画展のチケット買うと常設展は無料なんだけどね。
8kカメラで撮影して高精細で見られる様になったけど、これはどうなんだろう?
解像度の問題ではなくて、色調の問題だから難しいでしょうね。
256次元の赤青緑で、表現できないということなので。
原画と印刷が違うのは当たり前、それは比較する意味はない。そもそも色とは電磁波の反射した結果だからどんな周波数の光をどんな強さで当てているかで違って見えるよね。本当の色、というものはない。光源に依存する。紙質や絵の具の凸凹も照明も再現できない。美術館の見え方と自宅のLED照明の下での見え方はぜんぜん違うのは当然。本物の絵を持ってきたとしても違って見えるはず。デジタルでRGBを数値化するから正確、って話でもないよ。山田氏の言うように「プロが現物を見て似せていく」くらいしか方策がない。
齢65に成るが未だにモダンアートの何が良いのかわからない。ダリやマグリットのよーに写実的な物は分かりが良い。キューブやフォーブやアブストラクトはなんなん?
観ている対象は一つ。だがさ。その一人一人は? それぞれ違うんだってわからんか?
五郎さん、日本人って訳が分からず展覧会を見に行かない? 私は、ルノアールが好きで。「ルノアール展」が東京で開かれた時。【イレーヌ画像】(イレーヌの生涯を勉強) の前で30分眺めていました。すると、前はラッシュアワー状態。分かりましたよ。日本人って、話題に乗りたいだけで、★その絵の魅力に惹かれて行っている訳じゃない★。ルーブル博物館も同じ。 一日行っただけで知った気になっている。ルーブル博物館を分かるだけでも一年かかるのに。私は、上野が近かったから、年がら年中、美術館へ行っていました。しかし、日本では絵画が身近じゃありませんね。私は、ブラウン大学で3週間勉強していましたが。発表会で【浮世絵】を取り上げた。そのため【ボストン美術館】へ行く。驚いたのは、広重 歌麿 などの浮世絵に触れられるのだ。もちろん、アメリカは日本から浮世絵を持ち帰った訳だが。日本の美術館だったら触れられない。五郎さんがおっしゃっていたように。日本のお上は【絵画は庶民に見せるものじゃない】の意識。民主主義が根づいている国じゃないからね。最後に、日本橋のように【画廊】がない地方の人は気の毒です。美術品って見るものじゃない。★買うもの★。あまり有名じゃない人の絵画の場合。5~6千円で買える。だいたい、五郎さんに質問している人は、画廊・美術館へ行かないでしょ。行っている人は、こんな質問しないもの。それだけ、日本人は芸術に貧困なんだ。
芸術に貧困だったらあんなに展覧会に人が集まらないと思うよ。興味無ければ展覧会自体行かない。みんな楽しみにして行ってるから。展覧会の絵の前でおばちゃん達の会話聞いてたら相当知識持ってるし^ ^
@@なん-l5i
私もそう思います。
我が家の両親などは、美術関係者どころか、特に美術愛好家というわけでもないのですが、印象派絵画が好きで、デートスポットはいつもブリヂストン美術館だったとか。
モネの睡蓮の絵の前の椅子に寄り添って座って、ずっと眺めていたそうです。
私も、ブリヂストン美術館や国立西洋美術館の常設展の印象派絵画は好きで、何度も訪れては、半日過ごしていたりしましたし、鎌倉近代美術館なども好きでした。
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実家には、西村計雄画伯の青の時代の白百合の絵がありました。
画伯の弟さんと父が友人で、安く譲り受けたらしい。油彩画ですが、砂糖菓子のような、墨絵のようなタッチの絵で、ユリの蕾の芯が綿菓子の中の黒い点のように見えるのを、幼い頃の妹は「うさちゃんのお目目」だと思っていたそうです。
父が亡くなって実家を整理して家財道具を売却した際、西村画伯の絵は時価100万円を超すと言われたそうですが、「この絵は売るものじゃない」と言って、妹が貰って行ったそうです。
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日本の、特に都市部は人口が過密状態だから、著名な絵画が来日して展覧会に出展されると、一つの絵の前でゆっくり止まって観てはいられなくなるのだと思います。
それに、常設展とは違って、特別展の場合には、招待券や優待割引券がたくさん出て、私の出身大学などでは、図書館や教務課に、各種特別展の招待券や優待割引券が山のように積んでありました。
私も家族や友人知人の分までもらって帰り、大学の帰りによく観に行きました。
そういうことをしているから、特別展は余計込み合う。
でも、そうまでしても、せっかく来日した絵画を見ておきたいと思う日本人が多いのはいいこと。
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私は在欧37年目になります。
ドイツを本拠に、ウィーン資料研究滞在が足掛け15年、イタリアやフランスにも住んだことがあります。
初めての海外滞在は、フィレンツェ近郊の街での資料研究研修助手でしたから、週末の休みにウフィツィ美術館などに行きました。ヴェネツィア、ローマ、アッシジなどにも足を延ばして、見られる美術品は全部観ました。
ウィーン美術博物館などはもちろんのこと、ソルボンヌ大学夏期講習参加中は、ルーブル美術館やオルセー美術館、ロダン美術館など。ミュンヘンのピナコテークなども。スイス各地の美術館も見て回りました。
ブリュッセル滞在中にオランダにも足を延ばしたかったのですが、アムステルダムの治安の悪さを聴いて、行きそびれたのが残念。
モスクワ滞在中に美術館を訪れようとしたら閉館中だったり。
でも、ウィーン、ミュンヘンやベルリン、ドレスデンなどを始めとして、ドイツ各地の美術館や城にてんじしてある美術品は観ているから、美術関係者でもない日本人としては観ている方じゃないかな?
ルーブル美術館だって、パリに住んでいるのなら、何日かかけてみればよいようなものですが、旅行者はそうはいかないもの。
私などは、通算4か月くらいはパリにも滞在しているはずですが、ソルボンヌ大学夏期講習に二夏と、後は資料研究滞在だから、美術館巡りばかりしていたわけではありません。ルーブル美術館をくまなく見るのに何日かかかることは分かっていても、そうそうは時間を取れませんよ。
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ただ、私の場合には、在欧37年目になるから、特に美術館巡りのために旅に出るのではなくても、どこかに行ったついでに美術館にも立ち寄ることができる。恵まれています。
日本在住で、簡単には欧州旅行にも出られない人は、そんなわけにもいきませんよね?
それでも、欧州に行く機会があれば、美術館も積極的に訪れる日本人は多い。私は、オーストリア国立図書館で資料研究の帰り、同じ王宮アルベルティーナ翼に入っていた美術館を訪れていた中高時代のクラスメートとばったり会ってびっくりしたことがあります。
彼女は、アメリカ留学経験もあるヴァイオリニスト。大学教授の旦那様のベルリン留学に同伴してきて、1年間の留学を終え、最後に欧州旅行をしているところだとか。
美術関係者でなくても、そういう日本人は少なくないはずですよ。
それで、欧州にもなかなか行けない日本人が、見たかった絵画が来日した際に、多くのファンが殺到し、結果としてラッシュアワー状態になるのを、まるで他の人たちは絵が見たくて来たわけではないかのように決めつけて、「本当にその絵に惹かれて観に来たのは自分だけ。一つの絵の前に30分でも居たかったのに」という松尾和敏さんの言い分は、単なるエゴイズムだと思います。
ないしは、自分は少しばかり美術を勉強したことがあるから特別だと言いたいのかな?(笑)
他の人もあなたのことを同じように思っていたらどうするの? と言ってやりたいですね。
気楽に楽しむことを良しとできないのは、芸術に対しての思想が貧困じゃないかな。
大部分の「話題性で観に来る人」の需要で展覧会は企画されているし。
あと、初心者の質問に攻撃的になるようじゃ寂しいですよ。
@@ライスバーガー-e5i
デパートなどがある意味集客目的で話題性のある展覧会を開催するばかりで、美術館の常設展がなかなか充実しないという指摘は、美術関係者からはよくあるのですよね。
でもそれは、欧州ならオペラやコンサートホール、オーケストラなどに政府から助成金が出て、手頃なチケット価格でいい公演ができるのに、というのと同じ。
日本は高度成長期を経て、やっと戦後の困窮から脱却したところなのであって、なかなか文化政策にまで手が回らない。
それどころか日本政府は、音大や美大への政府からの給付は打ち切るといいだしているそうで、今後、日本の文化政策がもっと貧しくなったらどうしよう、というのが文化関係者一同の憂えているところではあります。
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ただ、そう思うのなら、文化関係者自信が、できるところから対策をしていくべきなのであって。
松尾和敏さんは、「日本橋のように【画廊】がない地方の人は気の毒です。美術品って見るものじゃない。★買うもの★。あまり有名じゃない人の絵画の場合。5~6千円で買える。」というけれど、それに対して自分で何か動いているのでしょうか?
今日私がドイツの主治医の診療所に行ったら、私の住む村の教会にいく小径をスケッチした絵が飾ってあったので、見入っていたのです。
この絵、ガラスの入った額に入れて主治医の診療所の待合室に入るガラス扉の脇に飾ってあるのですが、私の主治医の所有ではない。
額縁のところに小さな紙が挟んであり、絵のタイトルと作者、そして65ユーロという値段が書いてあるのです。
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私の住む村は小さいので、画廊などありません。近くの大学街には画廊もありますが、画廊に展示してもらうためにもお金がかかる。お金を払って期間を決めて展示してもらうか、ないしは画廊に絵を買い取ってもらわなければ画廊にも展示はされないわけでしょう?
だから、大学街にあるその地域の行政センターの建物や、少し離れた街の医療センターなど、地域の人が集まる少し大きな建物には、大抵、売るための絵が展示してあるのです。
描いているのは、行政センターや医療センターで働くスタッフだったり、ないしは利用者である一般市民が委託しておいてもらっていたり。
タイトルと作者、値段は絵画の脇の展示プレートに記載されているほか、エレベーターなどにもまとめて掲載されていたりする。
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私の実家にも、西村画伯の弟さんを介して譲り受けた絵が飾ってありましたが、ドイツに留学中の芸大大学院油画専攻の留学生が描いた絵を、その奥様が通う日本語教会のメンバーが少しずつ買ってあげていることも。
ドイツの大学の元日本語講師で、自分が勤めていた大学学長と結婚された方を訪ねたら、アパートの入り口に至る建物内の階段(彼女たちのアパートの一部)の壁に、古めかしい花の絵がいくつも飾ってある。
これは、年金が少なすぎて生計が建てられないと言っている知人のために、お金をただ上げるわけにはいかないから、代わりに絵を買ってあげているものなのだそうです。
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画家や彫刻家などは、作品が売れなければ、生活費がもたないだけではなく、次の制作のための画材なども買えなくなってしまう。制作が続けられないということは、画家や彫刻家としての生活は続けられないということ。
前述のドイツ留学中の油画家の場合にも、奨学金を受給しているだけではなく、奥様が教会のオルガニストとして稼いで生計を立てていました。
そういうことになるから、芸大でも、大学院生や卒業生の作品を展示即売するセンターを建設しましたよね。
でも、小さな村や村の行政センター、医療センター、個人の診療所などに、壁のスペースだけ借りて売るための絵画を展示させてもらえば、場所を提供する側も飾るための絵画を購入しなくて済むし、絵が売れれば次の絵を飾ったりして、定期的に飾られている絵が交代するから、買うつもりのない人も楽しめる。
簡単なことなのに、どうしてそういうことが日本ではもっと普及しないのかな、とは思います。
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ドイツのやり方を見て、もっと日本もこうすればいいのにと思うことは山ほどあるので、そのことを以て「日本人は芸術に貧困なんだ」と決めつけるつもりは私にはありません。
でも、芸術との付き合い方を知らないのでは? とは思いますね。
企業や富裕層が、何億円という大枚をはたいて著名な絵画を買って、それを本社ビルに飾ったり、そうしたコレクションを基に美術館を建てるのもよいのですが、それだけではないやり方もあるな、と。
それぞれの見方で楽しめればいいんじゃないの??